仏教におけるアートマンとは?
アートマンātman
サンスクリット語で,我 (が) と漢訳される。 元来「気息」を意味したが,転じて生気,身体,さらに自身の意味になり,哲学的概念としては自我,自己,霊魂,さらに「本体」「万物に内在する霊妙な力」を意味する。
アートマン(आत्मन् Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。ヒンドゥー教用語
アートマン英語Self or self-existent essence of human beingsサンスクリット語आत्मन्
(IAST: Ātman)日本語我
インド哲学の様々な学派における中心的な概念であり、アートマン、個人の自己(Jīvātman)、至高の自己(Paramātmā)、究極の現実(Brahman)の関係について学派によって異なる見解を持っている。これらは、完全に同一である(Advaita, 非二元論者)、完全に異なる(Dvaita, 二元論者)、非異なると同時に異なる(Bhedabheda, 非二元論者+二元論者)、などといった見解らがある。
ヒンドゥー教の6つの正統派では、すべての生命体(Jiva)にはアートマンが中に存在しているとの見解を持ち、これは「体と心の複合体」とは異なるものである。この見解は仏教と大きく異なる点であり、仏教では常一主宰(永遠に存続し・自主独立して存在し・中心的な所有主として全てを支配する)な我の存在を否定して無我説を立てた。